記事・レポート

石田衣良 x 幅允孝『言葉のリズム、本の呼吸』

いまから目を逸らさず、ありのままを表現する

更新日 : 2013年10月11日 (金)

第5章 作家の本当のはじまり

写真:石田衣良(小説家)

 
マコトの生き方はひとつの理想

幅允孝: 僕は『池袋ウエストゲートパーク』(文藝春秋)シリーズについて、何でも内包してしまう「器」のように感じています。回を重ねる中で主人公の真島誠(マコト)も年を重ねていき、どのような要素でも入れられる器になった。また、周辺の人物も毎回、バリエーションに富んでいる。この前提がある限り、『池袋ウエストゲートパーク』シリーズは、自分がいま問題だと感じていることを、何でも入れられてしまう作品になったと思います。

石田衣良: たとえるなら、社会の中にある問題や矛盾を切り取り、きれいな切片標本にして、顕微鏡で見るような小説だと思っています。切片標本は、なるべく薄く切るときれいに見えると言われていますが、『池袋ウエストゲートパーク』シリーズにも同じような雰囲気はあります。標本となるテーマを薄くきれいに切り取ることができれば、作品としておもしろくなる。

幅允孝: マコト(主人公/真島誠)は、表側と裏側にある世界、社会のあらゆるものに対して、常にフラットな位置に立っています。どこかに取り込まれそうになっても、最後はスタンド・アローンであり続ける。だから、どのようなテーマも包み込んでしまうことができる。そうした雰囲気が、石田さんにとても似ていると思うのですが。

石田衣良: 僕にとっては、マコトのような生き方は、ひとつの理想なのです。まず、簡単に相手の言うことは信じない。世の中にあることは一度、自分の頭の中で考えて、疑ってみる。そこから出てきた答えに基づいて、自分なりの方法で動いてみる。そのように生きるのが素晴らしいと思うし、それができるのが、本当の大人なのだと思います。

本に対するニーズが変化してきた

幅允孝: 講演前の控え室で石田さんは、「人が本に対して求めるものが、従来とはだいぶ変わってきた」とお話しされていました。たとえば、人が本に対して数時間、長編なら数日を費やすことに耐えられなくなりつつあると。

石田衣良: 本を読むことは、自分の知らない世界に出会う、しかもその出会いの過程で、何かを教えてもらったり、一緒に考えたりする。時間を超えたところにある楽しみというか。それが本の魅力ですよね。いまは少し違います。「いますぐ楽しい気分になりたい」「悲しい気持ちになって涙を流して、その後さっぱりした気分になりたい」。いつの頃からか、本に対するニーズが変化してきたように感じています。逆に言えば、作家もある種のサービス業になりつつある。小説に限らず、色々なものがマーケティング先行型になっていることが、影響しているのかもしれません。

幅允孝: そうした現状の中で、石田さんは書くべきものがまだまだある?

石田衣良: 数多く書いてきたので、実際は少し分からなくなっています。しかし、何も書きたいことがなくなったところから、本当ははじまるのだとも思うのです。自分が持っていた素材をすべて吐き出し、一度裸になると、本当に書きたかったことが見えてくる。作家にとって良い仕事ができるのはそこからだと僕自身は思いますし、多くの作家も心の底では同じように感じているのではないでしょうか。