記事・レポート

石田衣良 x 幅允孝『言葉のリズム、本の呼吸』

いまから目を逸らさず、ありのままを表現する

更新日 : 2013年10月10日 (木)

第4章 当てようと思えば、読者にも伝わってしまう

写真:幅允孝 (ブックディレクター)

 
最初は冒険小説から始まった

幅允孝: 石田さんは小さい頃、どのような本を読まれていましたか?

石田衣良: 最初は本ではなく、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『鉄人28号』などのテレビ番組に大きな影響を受けました。その後、本の世界にそれと近いものはないかと図書館の中を探し回り、1950年代アメリカのSF小説に出会いました。ターザンの生みの親、エドガー・ライス・バロウズが書いた『地底世界ペルシダー』シリーズに始まり、コナン・ドイル、ジュール・ヴェルヌ……。そのあたりの冒険小説を、ハラハラドキドキしながら読んでいました。その後、ミステリーやホラーに進み、現代文学にたどり着いたわけです。

幅允孝: 石田さんはあるインタビューで、いまも読み返す作品として、サマセット・モームの『要約すると』を挙げられていました。

石田衣良: これはエッセイのような作品で、モームの創作手法の秘密が散りばめられた作品です。モームはシニカルな作家で、言い回しもウィットに富んでいます。僕が小説家に憧れていた10代の頃は、さまざまな作家が書いた創作ノートのようなものをたくさん読みました。その中で『要約すると』と、人間の不条理を描いた作家アルベール・カミュの『太陽の賛歌』は、いまでもときどき読み返します。

サマセット・モームの立ち位置

幅允孝: 自分の文体を獲得しようと考えた場合、モームはおもしろい立ち位置の作家だと思います。カミュはノーベル文学賞を受賞したり、晩年はサルトルと論争したりと、正統派の文学の世界で生きていた人物です。反対に、モームは大衆向けの小説家と表現できるような、普通の人が読んでも分かりやすく、楽しめるものを書いた作家として知られています。

石田衣良: モームは若い頃、劇作家や脚本家として脚光を浴びたため、自分の手がけた舞台が当たる、当たらないという点が、ストーリーを書く際の大きなポイントになっていたと思います。だから後年も、読む人に分かりやすく、楽しませるための巧妙なストーリーをたくさん生み出しています。

幅允孝: しかし、「当てよう」と思うと、なかなかそうはならない。それも小説の難しさだと思いますが。

石田衣良: やはり、当てようと思って書いたらダメです。小説は肩肘張らずに楽しめるものである反面、意外と真剣なものですから、書き手に作為的なところがあれば、読み手はすぐに気がついてしまいます。反対に、少々力量が足りなくても、書き手が全身全霊を尽くせば、読み手もその思いをきちんと理解してくれます。

幅允孝: モームの作品を数多く翻訳されているイギリス文学者の中野好夫さんが、モームについて次のような発言をしています。「通俗というラッキョウの皮を剥いていくと、最後は何もなくなるのが普通だが、モームの作品はラッキョウの皮を剥いていくと、最後には人間存在の不可解さや矛盾、そうしたものにぶつかる」と。そこがモームの優れている点だと言っています。実は、石田さんの作品からも、同じようなことが伝わってくると思うのです。誰もが楽しめる内容であり、読後のカタルシスもある一方で、文脈からは人間が持つ不可思議さのようなものが読み取れ、心に残るものもある。

石田衣良: こう見えても、僕も小説を書くときは真剣です(笑)。血が通っていない作品は、やはり読者にも分かりますから。