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MBA僧侶が編み出すコミュニケーションのカタチ

松本紹圭:目覚めの技術としての仏教

更新日 : 2013年03月26日 (火)

第6章 他人の人生を生きていませんか?

松本紹圭(僧侶)

 
牧師さんが座禅をするのもいい

松本紹圭: 最後に、仏教が本当に目指している「目覚め」を考えてみたいと思います。仏陀(ぶっだ)とは「目覚めた人」の意味です。ということは、仏陀とはお釈迦(しゃか)様一人ではないわけです。お釈迦様は「目覚めた人」の代表者であって、仏陀には誰でもなれる可能性があるのです。

仏教とは何かというと、「目覚めた人」が説いた教えであり、目覚めていくための教えです。お釈迦様がおっしゃるように、大事なことは仏教徒を増やすことではなくて、目覚めていくこと。仏教を、川を渡るためのいかだに例えてみましょう。川を渡った後まで、いかだを持ち続けているのは、意味のないことだと思いませんか。大事なのは、渡っていくことそのものなのです。

仏教とは目覚めるための道具であり、誰にでも開かれた目覚めの技術なのです。最近では、キリスト教の牧師さんが座禅に来ることもあります。私はそれでいいと思うのです。それぞれの生活習慣の中に、「目覚めの技術」を取り入れてもらうことこそが大事だと思います。

自分がもつ無限の可能性に目覚めよう

松本紹圭: それでは、一体何から目覚めるのでしょうか? 結論から言うと、束縛された「自我」、自分という「殻」から目覚めていくのです。これは自分がもっている無限の可能性に目覚めていくこと、とも言えます。みなさんも毎日忙しく過ごしている中で、「本当に自分にとって大事なものは何か」を見ないまま過ごしていることがあるのではないでしょうか。たまたま与えられた環境に漬かりきって、それを当たり前のこだと思ってシステムの中で暮らしています。

よく考えると、この世界は川の流れのように、絶え間なく水が入れ替わっているわけです。自分の手も、細胞レベルではどんどん入れ替わっている。そういった現実があるにも関わらず、私たちはこの手を変わらないものとして捉えています。同じように「私」という存在も固定したものとして考えて、自分と他人を区別して生きているわけですね。いわば、二元論の世界です。二元論を生きていると、段々と執着心が生まれます。自分というものがあると、自分の領域をどんどん大きくしていこうという気持ちが働いてくる。その結果、心の自由と独立を失ってしまって、自分の殻の中に閉じこもってしまうのです。本来、そのようなものに縛られていなければ大きなポテンシャルがあるのに、なかなかそれを引き出すことができず、汲々とした日々を送ってしまうわけです。

心の自由こそが一番の宝物

松本紹圭: 世間的に見ていわゆる成功したキャリアを持っている人ほど、人生に迷っています。>「みんなが『いい』と言うのだから、間違っていないはず。でも、本当にこれでいいのかな……」という具合です。おそらく、他人の人生を生きてしまっているのですね。

「本当に大切なことを、本当に大切にすることが大事なのだ」。これは、スティーブン・R・コヴィー※1という人が残した言葉です。積み上げてきたものが多ければ多い人ほど、自分の奥底の声に耳をふさぎ「今までこうしてきたから、これでいいはずだ」と決めてしまいがちです。そうやって自分の心の声をおろそかにしていると、そのうちにその声すら聞こえなくなってしまうかもしれません。「心の自由こそが一番の宝物ですよ」というのが、仏陀のメッセージだと思います。皆さんは、他人の人生を生きてしまっていないでしょうか。

※1 編注:アメリカの経営コンサルタント。著書『7つの習慣 成功には原則があった!』は世界で1,500万部以上の売上げを記録