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時代を読み、世界を俯瞰して、フロンティアを拓く場へ

シナリオはない。人と場が相互に働きかけ、共に進化する。
ー平河町ライブラリー 開館記念座談会よりー

更新日 : 2011年01月11日 (火)

第4章 格差論を突き抜けて進め

平河町ライブラリーオープン記念座談会

袖川芳之: 「スパイキィ」とか「逸脱」、「体験」といったキーワードが出ました。尖ったところがないと面白くないし、そういうところを伸ばしていかないと日本はダメになる。私も賛成ですが、それが社会に広がっていくイメージ、ここで生み出された価値が社会とつながるような「橋渡し型」の場にならないかなと思っています。

先をいく人がまわりを引っ張っていけばいいけれど、ついて行けない人が増えて格差が固定化してしまうのはやはり良くないんじゃないでしょうか。

高橋潤二郎: 格差ということになると、これは竹中さんのテーマだと思いますが、ちょっとその前に話させてください(笑)。

戦後、日本の社会は「中産階級」「核家族」「高学歴化」という3つの価値を共有してきました。その結果、国民の8割が自分を中産階級と考える時代がきた。9割以上が核家族になり、過半数が大学出になった。つまり目標に達してしまったわけです。

次の段階に入るにあたって、私たちは「少なくともその先の世界を目指すには、これまでの枠を外して自由に考えてみよう」と思ったわけです。中産階級より上を目指す人々が出てきたし、核家族は実態として粒子家族になり、単身世帯や女性世帯、さらに血縁関係のない者同士が一緒に住むという形も出てきた。高学歴化の限界も見えてきたわけです。

そこで、過去の価値観を超えようといろいろなことを言い出したら、意外に日本人の変化への弾力性が低くて、格差論のような反論が起こっている。それがいまの状況だと思います。では、竹中さんにバトンタッチしましょう(笑)。

竹中平蔵: いまの日本はキャッチフレーズで動いているような感じがします。「格差をなくせ」とかね。日本を萎縮させているのは「こうなるといけないから、こういう人たちをこうしてあげましょう」という上から目線の発想ではないでしょうか。

高橋さんがおっしゃるように、私たちが目指す社会を考えるときは、そうした発想を超えていかなければいけない。

私自身は一所懸命働いた人が私よりはるかに高い報酬を得て、私との格差が広がることを少しも気にしませんし、悪いことだとは思いません。私は、私の人生を選択して生きているのですから。

格差の話は上からの目線で、これをたどると、結局はインディビジュアリズム(個人主義)とコレクティビズム(集産主義)の話になる。

先ほど米倉さんが言われたように、結局、何が正しいかなんてわからない。だから自由にやろう、それが私たちの社会の成り立ちだと僕は思います。

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