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新年あけましておめでとうございます。
皆様は、年末、年始をいかがお過ごしになりましたか?
私は、この年末年始を故郷の大阪で過ごしました。四半世紀前大阪から東京に出てきたわけですが、大阪と東京の両方の街を見比べ、改めて大阪の衰退が何故起こったのかを振り返ってみました。
遠い昔、私が、小学生になる前か低学年の頃なので35年以上前だと思いますが、実家が繊維問屋をやっていたので地方から住込みで働きに来ている人もいました。その中のお一人で群馬から来た人に、何故大阪に来たのかと聞いたら「大阪は、商都なので商売を勉強するのは大阪だ」と話しておられたように記憶しています。首都は東京だけど大阪は商売の中心地なのだ、と子供心に強く印象に残っているのです。その大阪も万国博覧会を終え、繊維産業の衰退とともにジワジワと衰退してきたように思うのです。その理由はいくつかあると思いますが、振り返れば日米繊維交渉あたりから大阪の地場産業である繊維業が大きな曲がり角にきていたのに、大阪の産業構造が、変わらなかったのが原因ではないかと思うのです。大阪の人たちは、かつての成功体験から生まれた自尊心と独自の文化やライフスタイルを大切にしてきたのですが、これがかえって時代の転換に乗り遅れる原因になったのではないかと感じるのです。
逆に東京への集中は、戦後一貫して加速し、全ての産業の中心地になったわけですが、私が今一番心配なのは、日本の衰退がかつての大阪衰退の軌跡に似てきているように思えることです。日本人もグローバル化の中で変革への必要性を認識しながらも、自らの産業構造やライフスタイルを変革するのは非常に難しいと感じているのではないでしょうか。これほど経済が苦境だと言われながらも、我々の生活はバブルの頃とさほど変わっているわけでもなく、大勢の人が海外旅行をし、ブランド品を買い、銀座や渋谷、お台場といった場所は多くの人で賑わっています。この国のどこが不況なのかという光景が、そこかしこにあります。しかし、確実に我々を取り巻く経済環境は痛み始めているわけです。ゆっくりとした変化なので、どこかに変革をしなくても生きていけるというような馴れが生まれてきているように思います。
かつての大阪にもこの種の「馴れ」が、蔓延して今日にいたったのではないでしょうか。大阪の人たちは、相対的な地盤沈下を意識はしても実感が伴わなかったのではないでしょうか。ちょうど現在の日本人の多くが、国際的に地盤沈下していることを実感できないような事態が起こっている気がします。つまり、ジワジワとした変化には人間はとても弱くて、自らのライフスタイルを変えるだけの必然性を見つけられなくなる恐れがあるように思うのです。その典型的な事例が、アルゼンチンです。かつての先進国でありながら戦後の社会、産業構造への変化に対応してこなかったため大変な状況に置かれているように、日本もゆっくりと沈没しているような気がします。それを防ぐためには、むしろハードランディングの方が将来のためにはよいのではとさえ思えてくる今日この頃です。
休みの最後の日に、子供とユニバーサルスタジオに行きました。個々のパビリオンに入るのには、2時間近い待ち時間を覚悟しなければならない程の賑わいであり、それなりに成功しているテーマパークでしたが、このエンターテイメント施設の中の賑わいまでが、かつて見た大阪万博のように全てイリュージョンに見えたのは、悲観的過ぎるのでしょうか。せめて子供に見せたこの賑わいが、日本が良かった時代の最後にならないようにしたいものです。
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