伊藤元重先生 AcademyHills インタビュー
WhatからWhyへ
経済から、社会やビジネスを戦略的に据える
伊藤 元重
アカデミーヒルズ理事/
東京大学大学院経済学研究科教授

経済戦略会議以降、国家の方向性を定める各種の戦略会議のメンバーを歴任する伊藤元重氏。アーク都市塾でもいよいよ『伊藤元重教授のビジネス経済塾』がスタートする。それに先だち、経済学の視点から世の中の流れを読んで戦略を立て、それをわかりやすく伝える達人に、日本の抱える真のリスクや打開策を聞いた。伊藤先生は「未来を決めるのは、ひとりのリーダーの考えではなく、人々の心や社会に深く沈殿した思想や個々の選択だ」と語る。
インタビュアー:太田三津子


----- 問題山積の日本ですが、今、伊藤先生が一番心配されていることは何ですか。

伊藤 ----- 不良債権や財政など、確かに問題山積ですが、今は大きな転換点。こうした問題がある程度出てくることはやむを得ない部分があります。
 むしろ、私が一番心配しているのは日本人の心の問題ですね。もし、こうした問題の処理を誤って経済が一段と悪化し、政治まで不安定になって社会全体に失望感や厭世観が広がることが一番怖い。これこそ日本に内在する長期的なリスクではないかと思っています。

----- すでにデジタルディバイスとか、競争社会による貧富の差の拡大への不安が広がっています。厭世観の蔓延を防ぐためにはどうしたらよいのでしょう。

伊藤 ----- なるべく多くの人々が「社会の活性化に参加している」という意識を持てるような仕組みにすること。それにはやはりアンフェアな仕組みを排除していかなければなりません。財政や税制をとっても、都市部のサラリーマンは不公平に扱われているし、女性や障害者もまだまだ不公平に扱われている部分があります。こうした社会のディテールをひとつひとつフェアな仕組みに変えていくことが大切です。
 小さな改革を重ねていくことで、「私にもチャンスがある」とひとりひとりが思える社会にしていくことが厭世観が広がることを防ぐことになる。言い換えれば、多様性を認める社会をつくることです。

----- そうしたフェアな社会をどうつくっていけばいいと思われますか。

伊藤 ----- 情報公開を前提に選択の自由を広げることでしょうね。たとえば、介護や福祉は今までお上が国民に与えるものでした。しかし、高齢者によって求める内容は随分違う。何が一番いいのかはやってみなければわからない。ですからバウチャー方式にして、本人が自分の必要に応じて自由に選べるようにしたらいいのです。そうすれば介護や福祉にも多様性が出てきますし、競争原理も働くようになります。
 これからは介護や福祉、教育、医療などの分野にも、市場原理を広げていく必要があります。

----- ある程度、構造改革の方向性は定まりましたが、なかなか進まないように思います。

伊藤 ----- 皆さんそう言いますが、進んではいるのですよ。しかし、スピードが遅い。先日のダボス会議(世界経済フォーラム)で、マイケル・アマコスト前駐日大使が、私に「日本の改革は進まないだろう、日本は豊かな国だからなあ」とおっしゃいましたが、確かにそうなのです。「変わらなければ飢え死にする」となれば改革は否応なく進むけれど、幸か不幸かそこまでいっていない。これは日本の抱える成人病。しかし、切羽詰まって改革するのではなくて、知恵と理性、合理で変えていきたいですね。

----- 『太陽と北風』の寓話にもあるように、北風(規制)より太陽(インセンティブ)で進めるほうがスムーズだと思うのですが。

伊藤 ----- ええ。しかし、一概に「規制は悪い」とは言えないのですよ。しかし、そのやり方が悪い。「これ以外やっちゃだめ」といった事前規制でがちがちに縛るのではなくて、事後審査方式にすればいい。事後審査なら、少なくとも走り出そうとしている人の足を引き止めませんからね。改革のスピードを上げるにはそれが大切です。

----- さて、来期のアーク都市塾から伊藤先生のビジネスエコノミクスの講座『ビジネス経済塾』がスタートしますが、どこに主眼を置かれますか。

伊藤 ----- 私は経済学者として、ここで学ぶ人たちにビジネスという現象を通して経済を見る目を養ってほしい。自分のビジネスとの関わりから経済を見る、そして、経済から経営やビジネスを戦略的に捉える手法を議論したいと楽しみにしています。
 たとえばゲーム理論も取り入れます。僕は、もはやゲーム理論なしには社会や経済の動きは理解できないと思うのですよ。塾生にはぜひゲーム理論の基礎は習得してもらいたい。これを使って企業の競争やネゴシエーション、経営などを考えれば、もっと深くわかると思います。このほかにも、経済からビジネス社会の仕組みを紐解くような考え方や原理はいっぱいある。そうしたことをお話ししたいと思っています。

----- 先生が一般向けに書かれた『経済の読み方 予測の仕方』(講談社刊)を拝読して、経済を身近に感じました。頭に浮かんだ言葉は「備えよ、常に!」(笑)。

伊藤 ----- それを言い換えれば「戦略的に考え続けよ」ということですよ。複雑化する経済のなかで自分の価値を大切にするためにはどう振る舞い、どう判断していけばいいか。これは生きていくうえでとても大切なことなんです。
 しかし、株や企業活動といった経済の仕組みを、学校では今まであまり教えて来なかった。もはやこれは現代人の必須課目なのにね。アーク都市塾でやろうとしているビジネスエコノミクスは、経済を見るだけでなく、ビジネスや経営にもインパクトを持つものです。こうした視点から書かれたテキストは今までないので、講義を一冊の本にまとめたい。

----- 先生の本にもあるように、今まで日本人は世の中に正しい答えがひとつあると思い込んできました。だから、それを見つけさえすれば問題は解決する、と。しかし、どうも正しい答えはひとつではない。

伊藤 ----- そう。だから「What」より「Why」が大切なのです。ビジネスでは全く同じことは起こらない。「What」ではこれからは対応できません。
 なぜそうなったのか、その背景や仕組みを考えることが重要なのです。それがわかればどんな変化にも対応できる。『ビジネス経済塾』では、現実のビジネスの疑似体験をしながら、「Why」を考えるトレーニングをします。

----- スポーツの世界も同じですね。

伊藤 ----- ただ、スポーツの判断は瞬時だけど、ビジネスの判断はもう少し余裕があるからまだ楽かもしれないね、イチローは0.1秒、我々は3日(笑)。

----- 話は変わりますが、もし、1カ月自由な時間があったら何をなさいますか。

伊藤 ----- 実は一番楽しんでいる時間は仕事をしているときなんですよ。1カ月あったら書斎に篭もってじっくり構想をまとめたい。日本経済は大きく変わっていますが、10年後、20年後の豊かさとはどんなものなのか、その絵が示されていない。だから多くの人が不安に思って次の一歩を踏み出せないでいる。皆が一歩を踏み出せるように10年後、20年後の絵を描きたい。過去20年間くらいに書いた英語の論文も本の形にまとめておきたいね。ただ、実際に書斎に篭もっても1時間もすると、なんとなく飽きてくるんですよね。で、庭に出ると、そこには私のスポーツインストラクターがいて散歩に誘う・・・。

----- スポーツインストラクター?

伊藤 ----- ええ、僕の愛犬で、「カナタ」っていうゴールデンリトリバー。本人はやや太り気味なんですがね(笑)。そういうわけで家には仕事癒しの両方がある。犬はいつも本音で人生を真剣に生きてますから、付き合っているといろいろ考えさせられるし、癒されますよ。

----- 同感!愛犬の癒しパワーで『ビジネス経済塾』もよろしくお願いします。ところで、このアーク都市塾のような教育機関をどう思われますか。

伊藤 ----- 文部科学省管轄の教育以外へのニーズはどんどん高まっています。塾、専門学校、大学でもダブルスクーリングが増えている。多様性という意味で大変にいいことだと思います。だからといって大学の授業が意味がないというわけではない。大学では大学でしかできないようなことをすればいいんです。これらは対立的ではなく、補完的な関係にあるものです。
 10年以上前に、ある外国の方が面白いことを言いました。「日本では子供は勉強しすぎ、大人は働きすぎ、老人はすることがなさすぎる」ってね(笑)。今の状況は少し違いますが、人生が分業制度になってしまっているという指摘は鋭い。実際の人生はシームレスだし、一生学び続けるべきではないでしょうか。その機会を提供するという意味で、アーク都市塾のような開放的でネットワーク的な教育機関が必要です。
 こうしたオープンな教育機関と既存の大学のような教育機関とがうまく繋がって、その間をインタラクティブに行き来できるのがいい。ネットもそれを支援するでしょう。アーク都市塾は知的なオープンネットワークの物理的な結節点になりうる面白さがある。メールでやり取りができても、やっぱり顔を合わせてつばを飛ばしながら議論するという物理的な空間は必要なんです。

----- 大学の役割は?

伊藤 ----- 学生のとき、宇沢弘文先生の授業を受けました。先生は学部生に向かって大学院の上級に教えるような内容を延々と語られる。当然、我々はちんぷんかんぷん。先生自身、難しい問題を出しすぎて黒板に向かって考え込んでしまったり・・・(笑)。
 しかしね、ひとりの偉大な人間がどう考え、悩み、あるいは間違える姿を直接観ることはリアルな教室だからこそ。私にとってはこれがすごく大きな刺激でした。また、ウチの学生と「日本の食料」というテーマで研究をしているとき、青果流通市場を調べていた学生がもっと深く知りたくなって、兵庫の山奥に3週間の農業研修に行ってしまいました。彼女はきっとここで何かを掴んだと思います。やはりリアルは大事なんです。大学教育はきっかけの提供なのですよ。

---- 最近は海外の学校で学ぶ人が増えています。先生は海外生活が長いですが、米国と日本の教育の違いはなんだと思われますか。

伊藤 ----- 教育には3つの段階があります。第1は知識やものの考え方、ハウツーなどを学ぶ段階。第2は考え方や知識を編集・編纂してプレゼンテーションする。第3段階はそれをもとにディスカッションすることです。日本は米国と比べてプレゼンテーション能力ディスカッション能力を磨く教育が弱い。ここを強化しないと・・・。
 やっぱり話す技術は重要です。私も瞬発力がないので、テレビの討論番組は実は苦手。しかし、話す技術がワンパターンにならないように、いろいろなところに身を置いてトレーニングしているんですよ。

----- 先生にも苦手があったとは・・・。これからテレビの討論番組に注目してしまいそうです(笑)。
 ところでデジタル革命は社会や価値観も変えると思うのですが、どんな方向に向かうのでしょう。


伊藤 ----- ひとりひとりの個性と価値観を許容できる社会になっていくといいな、と思っています。
 これからは軍隊のようにリーダーが方向を決めて引っ張っていく時代ではない。社会をひとつの組織と考えれば、情報社会はアメーバみたいな組織じゃないか。つまり、細胞が勝手にあちこちに動いていって、餌があればその方向へ伸びていくし、敵と遭遇してやられたら引っ込むといった具合にね。ですから「どうあるべきか」と構えるんじゃなくて、何でもやってみればいい。そして結果を情報開示していく。そのなかで、ひとりひとりが未来を選び取る。未来は誰かが与えてくれるものではなく、自ら選び取るものなのです。
 ハーバード大学にいたとき、子供を幼稚園に入れるために出かけていったんですよ。そうしたらクラスが3つあって、ひとりの先生は「父兄にもどんどん参加してもらってオープンな教室にします」と言う。もうひとりの先生は「躾が大事だから私は躾に力を入れます」と。もうひとりの先生は「私はコンピュータが得意だからコンピュータを教えたい」と言う。先生によって言うことがばらばらなんです。私は驚いたけれど、周りは至極当然のようにその中から選択している。ああ、本当に「選ぶのは自分」という社会なんだなあと思いました。
 日本が本当に自分で選ぶ社会になったとき、どのような方向に行くか。これはいわば壮大な社会実験ですよ。

----- そうしたとき、最終的に世の中を動かすパワーは何なのでしょう。

伊藤 ----- かつてケインズが言ったように、思想なんだろうと思います。我々学者の役割はそれを伝え続けること。思想が人の心や社会に深く沈殿していき、じわじわと社会を変えていく、私はそう信じています。