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■アートが都市を再生する
ベルリンの挑戦 伊藤 俊治 多摩美術大学教授 |
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1989年の「ベルリンの壁」の崩壊後、ベルリンなどドイツの都市はまさに激変した。都市再生の過程において大きな役割を果たしたのが「アート」や「デザイン」である。20世紀のドイツの都市文化形成に、アートは大きな影響を及ぼした。古い建築もすべて取り壊すのではなく、再生可能なものは、都市の記憶や歴史ととらえ、積極的に転用している。東京の都市再生に向けて、21世紀の都市文化づくりを考えることが重要だろう。 21世紀の都市文化について、ドイツ・ベルリンという都市の解体と再生を通じて考えてみたい。1989年に「ベルリンの壁」が崩壊して以降、20世紀的な都市文化が終焉し、新たに21世紀的な都市文化の芽が現れてきた。 私が最初にベルリンを訪問したのは14年前の1987年。それから毎年のようにベルリンを訪れている。 '87年はまだ「ベルリンの壁」が存在していた時代だ。ベルリンはそれからまさに激変した。今や世界で最もスリリングで、ホットで、混沌としたカオスの街である。2000年には首都機能が、ボンから再びベルリンに移され、90年代から続いていた建築ラッシュは一段と活発化している。それは東京の建設ラッシュを大きく上回り、美術館や博物館だけで十数館つくられ、文化関係の施設も多数オープンした。20世紀で最も大きく変化した都市である。 ■ポツダム広場の再開発 そのベルリンで、最もホットな場所がポツダムプラッツ(広場)だ。ダイムラークライスラー地域と、ソニー地域に分かれ、ダイムラー地域にはショッピングモールやショップやカフェなどが並び、ソニー地域は、ソニーセンター、映像博物館、シネマコンプレックスなど施設が林立して、エネルギーを感じさせる場所になっている。 80年代末のポツダム広場は、まさに廃墟だった。空爆で徹底的に破壊されたあと、何十年間も放置されたまま、歴史の空白地のような特別な場所だった。 かつてのポツダム広場はヨーロッパの首都として栄え、黄金の1920年代には、ワイマール文化の中心だった。第1次大戦後の1919年からナチスが政権を掌握するまでの1933年までベルリンの人口は500万人に達し、種々な人種が行き交うコスモポリタンの街となった。近隣には、「ウーハー」という映画会社を中心に映画スタジオ群があり、ハリウッドを凌ぐ映画産業の中心でもあった。 しかし、第2次世界大戦後、ベルリンは東西分割され、暴動や亡命騒動があって、1961年に壁が設置されて、冷戦下のベルリンは廃墟となった。そして、90年に新生ドイツが誕生。まさに、ベルリンは20世紀の歴史と記憶の痕跡を凝縮してたどることができる場所である。 ここ数年ほどで、ベルリンはエネルギーの充満した都市に変貌した。インフォボックスという情報案内所のようなものを作って、都市が大きく変わっていくそのプロセスを多くの観光客に見せた。 ダイムラーはイタリアのレンゾ・ピアーノを総監督にして、ヨーロッパの新しい街並みを取り戻そうとした。ソニーは米国のヘルムート・ヤーンを総監督にしてエンターテインメントの施設をつくり、文化と生活を取り戻そうとした。日本の磯崎新や伊東豊雄を含めて世界中の建築家もベルリンに集まって都市文化を形成する作業を始めた。 ■アートによる都市の再生 戦後、ポツダム広場を囲むように、ドイツを代表する建築家のハンツ・シャルーンが設計したベルリンフィル劇場や国会図書館、ミース・ファンデル・ローエの新国立美術館などの文化施設がつくられた。いつか、東西ベルリンが統合され、ポツダム広場が再建されることを前提につくられたのである。そこにドイツの都市計画の先見性がある。 ベルリンには、まだ廃墟や廃屋がたくさん残されており、そこでアートやデザインが種々な形で展開されている。真新しいポツダム広場とは対照的に、破壊と断絶を繰り返したベルリンの破壊の現場をそのままとどめ、上重ねする形で文化の種が種々な形でまかれ始めている。 廃墟の無人駅を美術館に、病院をアーティストハウスに、デパートをサブカルチャーのセンターに、大学をエクスポジション用の施設に、地下鉄をアート系カフェに。いろいろな形で都市文化の種として再生されている。 そこには、対アメリカ文化という姿勢が明確だ。ヨーロッパ都市文化のプレゼンテーションの場となっている。再生可能なものは都市の記憶と考えて、文化に転用しようとしている。 再生はノスタルジーではなく、明確に都市が歩んできた歴史意識を世界に対して表明するものだ。ウンターデンリンデンという名の通りがあるが、これもバラバラになっていた街並みを、整合性をもって歴史的な全体像を保全する形で再開発されている。旧東ベルリンのアレキサンダー広場は、高層建築をそこに集めて新建築のショーケースとしている。 ベルリンの若者文化の中心であるクロイツベルグで、90年代を代表する若手の建築家、ダニエル・リベスキンドが、ユダヤ博物館を設計した。入り口を既存のベルリン博物館と同じにして、歴史の痕跡を残しながらつくり上げた。 今年は、第2回目のベルリンビエンナーレが開催されている。隔年ごとのアートのフェスティバルで、旧東ベルリンの巨大な廃屋タヘレスなど、ミッテ地区を主会場にして、展覧会が開かれている。美術だけでなく、音楽、建築、演劇、ファッション、ビジュアルアートなどをまとめあげ、クロスカルチャルイベントとして、ハイブリッドな環境を作り出している。 ベルリンビエンナーレが面白いのは、ビエンナーレそのものが都市のサイズとなっている点だ。期間も限定して区切るのではなく、2年に1度と言いながら、その間にも連鎖的にイベントを開催するという手法を取ることで、アートを都市に血肉化させようとした。 ■旧東ドイツ・鉱山地域の再生 旧東ドイツにデッサウという工業都市がある。バウハウスは、ワイマール、デッサウ、ベルリンと拠点を移動していくが、デッサウ時代に黄金期を迎えたことで有名だ。 旧東ドイツではエネルギー転換が急速に進み、鉱業が急激に衰退した。バウハウスデッサウ財団は、地域を再生する特別な機関として、種々な活動を展開し、「フェロポリス」というプロジェクトを推進している。この地域は、かつて巨大な露天掘りの鉱山地域だった。そこに、世界最大の掘削マシンが多く取り残されている。これを脱工業地域における、環境や自然の問題を考えるアーティスティックなシンボルとしようとする試みだ。劇場空間として活用したり、アートとコミュニティー、モニュメントとアトラクションを融合したり、昨年はハノーバー万博の分会場にもなり、今や新しい名所となっている。 ゴイシュという地域も、かつての露天鉱山だが、土地が汚染されている場所だ。ここに、湖をつくろうとしている。その周辺にレクリエーションのための緑地帯を形成しようと、アーティストたちが土壌改良に率先して取り組んでいる。エネルギーやダム、交通網のプロジェクトにもアーティストが絡んでおり、再生をアートが担おうとしている。 ■工業都市ルールの再生 かつて旧西ドイツの工業地帯として栄えたルールも、産業構造の転換に伴ってほとんど廃墟化していた。大企業が撤退し、失業が増えて、廃墟と空き地が目立ち、高齢労働者の住む地域のイメージだった。 このルール地域で、1993年からIBAエムシャープロジェクトが始まり、成功を収めている。これまでに6,000億円もの資金が投入され、そのすべてが、環境と文化の質の向上に向けられた。その推進役であるエムシャーパーク公社は'89年に設立された。IBAは、国際建築展の略で、エムシャーはエムシャー川流域を指す。10年計画で、エムシャー川流域のあちらこちらでIBAを開催し、アートとデザインと建築とエンターテインメントを融合した形で地域再生を図ろうとしている。IBAは、単なる展覧会、博覧会ではなく、21世紀的な都市をつくるワークショップだ。1957年、'77年には、ベルリンでもIBAが開催され、先に紹介したベルリンの若者文化地域、クロイツベルグも、IBAで新しい街づくりを実現した。IBAを10年間続けていくことで、ソフト・ハードを蓄積して、その後は自立して地域を再生するシナリオが作られた。 公社は、IBAのテーマを「エコノミーとエコロジーの融合的な再生」とし、公共、民間を問わず150あまりのプロジェクトを募集した。廃墟の工場を、産業遺跡の博物館として、人が集まる仕掛けをつくる。道路をインダストリアルカルチャールートとしてアートスポットにする。インダストリアルパークとして機械と自然物が共生して響き合うような庭園をつくる。統一したエコロジカルなデザインをするというように、プロジェクトを誘導していった。 エムシャー川流域、全長75kmに及ぶ地域のランドスケープを、有機的な風景として組み立てていく。エムシャー川を背骨に見立て、そこから6対の緑地帯が肋骨のように延び、その間に様々な施設が展開されるというプランだ。統一したまとまりを出すために、巨大なアートモニュメントを数十個つくった。有名なモニュメントに、リチャード・セラの「ブラム」がある。67t、高さ20m以上の鋼板を使った、とてつもなく迫力のある作品で、これを見るために今では一大観光地になった。 ここでは、アートが20世紀を浄化する役割を担っている。オブジェがランドマーク化され、旧工業都市の残骸を統一したつながりのあるランドスケープをつくり出している。 ■21世紀の都市文化とは 20世紀の都市文化、都市デザインは、ドイツで始まり、ドイツで終わると言われている。 1901年にドイツのダルムシュタットで、新しい都市芸術文化のプロトタイプと言われる芸術家村がつくられた。アーティストとデザイナーを中心とした都市づくりが行われ、20世紀最初の企業デザイナー、ペーター・ベーレンスなどが参加して、近代産業にアートとデザインを積極的に取り入れようとする運動が始まり、これがやがてバウハウスへと繋がっていく。そして、そうした試みは、IBAエムシャーパークで終わった、と言われている。 芸術家村をつくったヘッセン大公、エルンスト・ルードルッヒは、工業化や機械化が進むなかで、都市に美的な感性の領域を守る必要があることに初めて着目した人だ。その後、ベルリンの都市再開発でも、エムシャー開発でも、アートが都市文化形成の中心となっている。 アートが記憶とか歴史を多重に吸い取ることで、それらを抹消した都市ではなく、歴史のレイヤーが重なっている都市を形成していく。感覚や想像力が誘発される都市を、アートの側から提案している。ベルリンビエンナーレやエムシャーパークに見られる試みが、今ヨーロッパのいろいろな都市で多様な形で展開され始めている。 東京には、情報が溢れ、様々な文化、芸術活動が行われていながら、何かスカスカの印象を受ける。東京という街が、均質で画一的で記憶喪失を強制する都市環境にあるからだ。 21世紀に向けた都市文化づくりを考えるとき、ベルリンなどのヨーロッパ都市再生の動きが、東京にとっても参考例になるのではないか。 第6回必修講義
テーマ/「21世紀都市文化論」 |
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