■都市と人間の行方
自己言及システムを超えて

養老 孟司
 解剖学者/北里大学教授

森岡 正博
 大阪府立大学総合科学部教授



養老 孟司
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 エネルギーを消費しながら都市化してきた現代と哲学を背景とした文明論から、「個」が「公」になっていくことで変わろうとしている日本を見据える養老氏。「都市化」は、都市自体の生命に似た自己言及システムであり、閉塞状態ともいえる病理から抜け出るには、「個」にヒントがあるかもしれない。森岡氏は、いかに答えを出すか我々が試されている時だという。

◇養老孟司氏

■都市とエネルギーと環境問題
 最近の日本の変化と関連づけて考えると、一番の関心事は都市と環境問題にある。都市型の新しい生態についての試みを諮問しているが、いろいろな提案が出ている。たとえば商品の寿命を10倍にのばしたとして、売り上げは10分の1になる。その分の経済をメンテナンスなどのソフトで10倍にのばすことはできるだろうか?
 米国は個人のエネルギー消費量がトップを走った結果のGDPである。しかしこれがいつまでも続かないということがはっきりしてきており、長いスパンで考える必要がある。米国は京都議定書に批准していないが、いずれ炭酸ガス問題を考えなくてはならない。誰が米国の首に鈴をつけるか、そこに尽きる。
 考えてシステムを組んで、動かしていくためには都市の定義が必要だ。都市の定義とは、物流を確保して、物資を取り入れて、エネルギーを消費して、経済的な付加価値をつけて、それを売ってその差額で食べていくということだ。
 その差額を経済で考える限り、どう考えても穴がある。それが石油問題。酒飲みが、酒樽をはさんで金をやり取りしながら酒を酌み交わす落語があるが、この「花見酒の経済」というのがエネルギーについてあてはまる。
 一方、石油は減るが炭酸ガスは増える。経済至上でものを考えるとこうなる。エネルギーを使ったとき、NET のプロフィットをどうするか、環境負担について誰も考えていなかった。ところが今の時代、人は何のために生きていくかに立ち戻っている。冷房や暖房で暑くも寒くもない世界を作って、はたして人は幸せなのか? 寒いところから暖かいところに入るから気持ちいいのだ。
 医学は寿命を延ばすことに成功した。今や老人医療が3割を占めるというが、意識のない状態の人もたくさんいる。このために医療をやってきたのか?
 理科的に考えると、明治以降、はっきりしているのは、我々のやってきたことは「都市化」にすぎないということである。歴史上のいろいろな事件は表面の波。石油の一滴は血の一滴という言葉があった。先の戦争で日本に必要だったのは、石油エネルギーの獲得だった。パレンバン空襲で本音の目的を遂げたことで、その後の戦争は付録だった。日本やドイツは奇跡の復興を遂げたと言うが、戦争が消え、当初の目的であった都市化が進んだのだ。
 近代化や高度経済成長は、都市化が目的だった。それが環境問題で天井を打った。古代の都市文明と今との違いはエネルギー資源で、同じことを繰り返している。古代のエネルギーはすべて木材で、古代都市に森は残っていない。
 そうした文明は多神教で土建文明だ。無意識の都市化。我々がやりたかったのは都市化ではないか? 都市が平和を願うのは、平和でなければ都市は持たないからである。プラハという街は、非武装中立で12、13世紀の建物が残っている。これからの日本はどっちへころぶか面白いと思っている。

■日本における「公」と「個」
 これまで日本の社会には個がないと言われ、一人ひとりの個が弱いと解釈されてきたが、十数年前に来日した英国のホルステッドという古生物学者が、京都に滞在したときのことを回想して、「日本人は集団主義と思っていたが、こんな個人主義的な人が集まった国はない」と言っている。実はそうかもしれない。
 日本には公に個がなく、個が公ではなかった。国会で個を出してはいけないということは、個が公に認められていない社会なのだ。ところが小泉さんや田中さんが国会という場で、個でしゃべるから人気が出た。隠れていた個の部分が小泉政権をバックアップしているのだろう。
 これまで個が公なのは、天皇だけ、まさに天皇制の所以だ。それが変わっているのが今。我々は、都市化しながら共同体を維持してきた。小さな空間、グループを維持することで秩序を守っていた。しかし、従来は公に認めなかった個を公に認めざるを得ない社会になりつつある。これは派閥や世間を考え直すことにつながり、私たちの生活に大きな影響が出てくる。従来の社会が持っている安定〜たとえば定年制度などの庇護がなくなる。
 共同体型のメリットを壊し、これから初めて近代的な日本人が出てくる。それに耐えられる人と耐えられない人が出てくるだろう。社会はそう動くということを前提に、我々がどう望むかを先に考える必要がある。

◇森岡正博氏

■都市の自己言及システム
 インターネットという1つの都市の原理は個人主義だ。一番動きやすいのは個人が何かをやるとき、くだらないのは組織が何かをやろうとするときだと思う。
 現代舞踏を観客席で見る機会があった。ダンスという芸術は独特で、自分でつくり出したものをリアルタイムに見ることができない。踊っている人は、自分の体は見えず、内側から見ている。これを観客席も含めて全体を1つのシステムとして見ると、それは自己言及システムになる。脳もこのシステムと同じ。たとえば数学は、脳の性能を試して確認している。ダンスも性能の確認システム。都市も、つくる人、住む人、利用する人がいて全体の性能確認をしている。東京のまん中にどれくらいの建物が建てられるかは個人の野望ではなく、我々のシステムが性能を確かめているのだ。

■都市は生命に似ている
 自分の可能性を意味なく試すということが生命の本質にある。都市にもそういう面があるのではないか? 都市問題を生み出しているのは、都市が生命だから。都市化=脳化。システムが自己運動し、人間を豊かにする半面、人間を差別化する。都市、このシステムが自らの可能性に向かって無限に動いていく。
 都市は維持できないものは壊していく。都市の野望は完成した瞬間に排泄物になる。カスは遺跡になる。都市はカスを排出しながら進む自己言及システムなのだ。できた瞬間に次に抜け出ようとする瞬間の運動の中にこそ、生命がある。試した瞬間、次に抜け出ようとするものを、都市自体が持っている。さらに進めて考えると、人間一人ひとりのいのちの意味とは「今私がある」ことから、「違う私へ」と変えていかざるを得ない状況を、自分の力で変えていくことだ。
 守りに入ると生命は死ぬ。生命の喜び=可能性に進んでいかざるを得ない宿命を背負っている。個人の中には、喜びがある。これを都市にあてはめると、都市も同じように自己言及的。先に進もうとするとき、都市はいきいきする。重大な問題は、都市がいきいきと変わるとき、都市の構成員は快楽を得ることができる半面、歯車として使い捨てられる。
 都市もそれだけでは死ぬ。都市が成長するのは、周辺があるからだ。周辺から取り入れながら都市自体は自己言及している。体と脳の関係に似ているのではないか。都市に人が居ることの罠がある。それは、自分が成長するために、自分以外のものが支えてくれていることを見失うことである。自己言及的ナルシシズムに陥る。都市の中に住みつつ、搾取やナルシシズムといった罠に落ち込まないためにはどうすればいいか、というのが21世紀の都市の課題だ。今までの手法ではダメで、都市に同化する、都市から離れる、ではなく、自分たちのシステムを都市の中でどう見据えていくか。たとえば都市に個人が介入して、都市が自己言及的に働こうとしたときに、逸らしていく。都市が自らの中にのみあるということを、解体していくことなのかもしれない。

−対談−

■都市の創造性と可能性
森岡 ----- 自己言及から逃れるには、20世紀では、「壊す」、「殺す」、「ずらす」だったが、そうしてもシステムはさらに飲み込んでしまう。出口なしの閉塞状態。これにいかに答えを出すか我々が試されている。これまでの文明のさらに向こうにいくにはどうすればよいだろう? 四大文明は、木を切り尽くして崩壊したという。何がなくなったのか? その場所で創造性が起きなくなったということか? 文明の終わり方に学問がいるのだろうか?
養老 ----- ピラミッドも万里の長城にしても背景にあったのは、土建文明都市。都市は、人間が頭の中でつくり出してきたもの。論語は自分の意志で決められる文明的なことを示してある儒教的合理主義で、自然のことは合理的には答えない実質的な都市的合理主義。それに対して老荘思想は、自然に対して言及している。
 戦後の日本の都市は物質的なものにとらわれてきた。都市の思想は、都市の中で再生産されている。都市の背景にどういう思想があるかを考えれば都市を理解できる。日本は仏教を背景にしていると考えている。中国を都市として見ると、情報として発信されるのは都市から。中国は氷山で、都市はその一角。日本は国土が狭いから都市化が進み、総体で都市化している。
 ハードとしての都市ではなく、我々の考え方としての都市について、これからの可能性を考えると、都市化は、土建ではなく頭の中でやれと言いたい。役所をつくるのならハードをつくるのでなく、インターネットの中で解決するものをつくれば、わずかのエネルギーで大きな可能性を持つ。戦争もバーチャルにすればいい。頭の中を満足させることができればいいのではないか。

■文明の背景にある哲学
森岡 ----- 養老さんは楽観的だと思う。人間の悪意は、言葉で人を殺すこともできる。バーチャルに移行しても、戦争や暴力、悪意は続くのではないか。
養老 ----- 一神教的アグレッシブに対して、仏教はとどまることができる。森が残った世界は仏教国。中国やインドをとりまく形だ。日本が世界の中心になることを目指すのは意味がない。周辺でよい。どんな社会が暮らしよいかを考えながら、日本をつくっていくしかない。
 現代人は苦や痛みを悪と思っている。仏教でいう極楽とは、暑さ寒さのないところ。その意味からは現代は極楽だが、苦痛があることが悪とされるから苦痛のある人は二重に苦しい。宗教の役目として、苦痛を評価したから救われていた。仏教ではすべてが必然だが、一神教は必然を外から認めさせられるから、大事なところで意見が食い違ってしまう。根本思想は、一神教より仏教。どこかで苦痛があっても当たり前と思える自分は楽観的かもしれない。
森岡 ----- 我々は、何のために生きているのか? 自分が生きて、イエスといって死んでいけるのか? それを考えることが自己言及システムから逃れることのできる鍵ではないか。



第5回必修講義

テーマ/「21世紀の人間・哲学・都市」
講師/養老 孟司 (解剖学者/北里大学教授)
   森岡 正博 (大阪府立大学総合科学部教授)
日時/2001年5月31日
会場/アカデミーヒルズ(アーク森ビル36階)


養老 孟司 講義目録
■第26期 '00.5.31
 21世紀の人間・哲学・都市
■第20期 '98.8.31
 脳の仮想体感

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