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■自然科学と政治の新しい出会い 〜冷戦体制の崩壊で浮上した環境問題 米本 昌平 三菱化学生命科学研究所社会生命科学研究室長 東京大学先端科学技術センター客員教授 |
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1980年代、外交と科学研究は合体し、純粋な科学研究と分化してきた。90年代の環境問題は、シミュレーションが重要な役割を果たしている。科学研究における計算モデルは、外交の道具として使えるほど単純化されている。しかし、シミュレーションを絶対視は出来ず整理分析が必要で、これは科学史家の役割かもしれないと米本氏は語る。
廣瀬氏は、バーチャルリアリティの研究においても、政策担当者や一般市民が身体感覚で上手に対応していくことが重要であると指摘した。
■比較研究で見えてくるもの 技術規制の比較政策研究という立場から、70年代の終わりから遺伝子組み換え実験や、地球温暖化問題を取り上げてきた。こうして、自然科学の論文と国際政治、経済、法律を繋げて読む作業をしていると、自然科学が対象とする特殊でピュアな自然が隣の領域に引用されることで、限定条件がはずれて自然科学か強大なイメージのものになっていく。遺伝子組み換えなどについて社会が関心を持って技術規制をしようとすると、不必要に厳しくなっていくものである。 一方、これまで国際政治とは関係ないと思われてきた地球科学の研究が、国際政治の交渉事の枠組みをつくるようになり、政治と繋がったことも重要である。 冷戦とは、平時でありながら5〜10%の巨大な国防費を投入し続けることである。米国は、41年に戦争当事国になって以来、91年のソ連の崩壊までの50年戦争を闘ってきたという意識の下にある。内政には力を持たない連邦政府が、国防という名目で戦時においてのみ力を持つ政府が、軍産複合体を育て間接的に、このスピンオフで、通信・航空機・コンピュータが発達した。57年のスプートニクショック以降、理工学ブームとなり、核兵器が軍事研究のコアになった。核兵器を配備するために、厳格なコントロールシステムを持つ必要がありそれは、情報技術の発達と同義であった。 ■冷戦の解体と地球環境問題 しかし、88年12月のゴルバチョフの国連におけるデタント演説をきっかけに、89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはソ連そのものが崩壊。このように冷戦体制の解体が進む一方で、国際政治の緊張の真空状態を埋めるかのように、地球環境問題が浮上してきた。国際政治のバランスから、冷戦後は人類共通の課題の一つが地球温暖化になっていった。 90年代に入って、米国の科学技術政策は冷戦時代の国防という巨大なミッションから、他の名目を考えなければならなくなった。50年間の国防投資は莫大で、これを正当化する必要があった。冷戦体制の解体再編(defense conversion)である。 それが、地球環境問題への対応、情報化社会の構築(核兵器抜きの核兵器コントロールシステム)、国際競争力の強化といった政策である。軍事部門のリストラのためには、誰が大統領になっても同じ政策を採る必要があった。 ■環境問題と外交の課題 地球環境問題に関しては、科学的アセスメントを行うIPCCの報告を受けて様々な目標が掲げられているが、300年かけて安定的なエネルギー政策を持つことなど極めて困難であるし、目標数値がラジカルすぎて具体的な政治プロセスには載らないことなど、文明論的な課題である。 温暖化については、50年くらいの変動を見る必要があるが、科学者も短期的な世界観に左右されやすい。今や温暖化問題について科学者が主導する時代は終わり、外交交渉のプロセスのほうが、科学の先に回り込んでいる感がある。また、外交交渉と科学研究が融合してしまうと、これに必要なシミュレーションのために、設計・プログラミングとデータの透明性の確保が重要になる。 ポスト冷戦時代、アメリカは核汚染の浄化のために莫大な予算が必要になった。冷戦処理に金をかける覚悟のあるアメリカはその意味では立派だが、一方のロシアでは、94年に男性の平均余命が58歳を切ったという。巨大戦争は起こっていないのに、人間の安全保障が悪化している。ロシアの環境汚染は深刻だが、それに対して日本は内向的すぎであり、もっと極東地域に目を向ける必要があるのではないだろうか。 第7回必修講義
テーマ/「地球環境問題」 |
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