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■ネットワークパラダイムと カルチャー プロセスに出会う新しい コミュニケーション 山本 容子 版画家 金子 郁容 慶應義塾幼稚舎長/慶應義塾大学教授 |
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アーティストが作品を人に見せたとき、初めてコミュニケーションは生まれる。しかし、音楽と比較して美術は敷居が高いと思われているのではないか。「ギャラリーで発表していてもドアを開けて入ってくる人がほとんどいないのはなぜだろう」と版画家山本容子氏は考えた。銅版画という分野以外でも、壁画やアクセサリー等の作品を手掛けている山本氏に、美術や芸術と出会うきっかけとして、さまざまなメディアを通じた例を紹介していただいた。
また、分野を超えてメディアネットワークがいろいろなところで起こりつつある。慶應義塾大学の金子郁容教授には2つのネットワークコミュニティの例を紹介していただいた。
◇山本 容子氏 「旅先で出会ったアート」 ●美術を人間に近づける 多くの人がクラシックからポピュラーまで気軽に音楽に触れているのに比べて、美術は高尚なものと思われている気がしていた。それでは、日常生活の中で、絵を人がよく見る場所へ持って出たらどうかと、30代半ばの頃、本屋をギャラリーにすることを考えて本の装丁を手掛けた。「読書感想絵」を包装紙にして本をくるんでやろうという発想で、世界文学全集を絵にしたりした。有名になった『TUGUMI』の表紙は、柄物で包むと包装紙と思ってくれないかという発想である。 その後、装丁の原画をギャラリーで発表したら、花柄を求めて女子高校生がギャラリーを訪れた。これも美術と出会うきっかけになったのではないかと思う。 ●街の中のアート 美術や芸術と出会うことができるメディアとして、いくつかの例がある。パリのポンピドーセンターの前の池に、現代彫刻家のスイスの二人、ジャン・ティンゲリーとニキ・ド・サンファールの制作による16基の噴水がある。近くにはカフェもあってさまざまな噴水の動きを眺めていられるが、池の周りには水のかかることを覚悟して座るベンチもある。これらは、現代彫刻でありながら噴水というメディアを獲得した美術作品となった。 ドイツの若い編集者が15年ほど前、「ルナルナ」という移動遊園地を発想した。移動遊園地というのはヨーロッパではもともとなじみ深いものだが、「ルナルナ」では、ゲート、アトラクションから移送トラックの絵に至るまで、すべてアーティストらの手によるもので、すべて徹底して考えられている。キースヘリング、バスキアらのつくった回転木馬や観覧車、ローラン・トポールによるお化け屋敷、顔を出して写真撮影できるボードから売店のおやつ、トイレまで有名無名のアーティストたちがショーアップしている。遊園地でありながら、美術作品として見ても面白いものができあがり、美術との距離を縮めた。 このように、ギャラリーに行かなくても日常の中に作品に出会える場所がある。それは、まず楽しい、変なものと思っていい。そう思ったとき、それをつくったのは誰?ともっと知りたいと思えば血肉になる。つくる側もそうした仕掛けを考えていかなければならないと思っている。 ●見せる側のアプローチ 額縁に入れて飾るのだけが美術作品ではないという例を他にも紹介する。 メキシコのチャベルテペック公園にあるタマヨ美術館で、子供のための展覧会があった。入ったらそこに70%小さくなった美術館がある。天井を低くして、入り口を小さくして、自分たちの部屋と同じような、ピンクのストライプやブルーの小花模様の壁に作品が展示してあった。大人は屈んで入らなければならないが、子供は普通に入っていける。子供は空間に緊張しないで楽しめるようになっている。展示を考えた人は、誰に見せたいかを考えたのである。 ニューヨークのメトロポリタン美術館の「レンブラントor notレンブラント」展も面白い。本物、贋作、グレーゾーンの展示があり、本物と評価する所以や、贋作と評価する所以についてそれぞれの評論が掲げてあり、見ていて楽しい。本物は質感がよくわかる。美術館によるこうした企画展は非常に面白いと思う。 また、ニューヨークでは、道の中央分離帯を使った展覧会がある。道を通れば毎日作品を見ることができる。しかも、恒久的な作品を据え付けるのでなく、作品が変わるので街の表情も変わる。道の最初と最後にゲートがあり、展覧会のカタログも入手できる。 このように、作品の背景を知る仕組みがあるのはうれしい。見た側が作品に踏み込んでいける。こうしたことにきちんと予算をとっているのである。 ピカソが、作品の制作過程をフィルムで撮っていたことは興味深いが、フィルムという新しいメディアを通しても作品のオーラは消えない。先ほどのパリの16基の噴水の例もデッサンから記録されて本になっており、途中経過がわかるようになっている。 ●美の価値の発見 美術作品は、アイディアとビジョンがあって人が生み出すものではあるが、受け手になったとき知りたいものは何か。そこまで考えて作品をつくるようにすると面白い。私自身も制作の背景を知りたいし、それは面白いことだと思う。 日本では、東京の立川ファーレなどがパブリックアートとしては新しいが、作品の背景の情報公開という発想まではないように思う。日本では、制作のプロセスを知らせると作品のオーラが消えてしまうという古い考え方に縛られているようだ。しかし、プロセスに関わることで、さらに作品への愛着が湧くものではないか。みんなの宝物になっていくさまがわかると後の世代も知る喜びが生まれ、ホットなコミュニケーションになる。 また、誰に見せたいかという視点で、見せる場所を選びたい。たとえば、「思索に耽るような場所に何かひとつ置くとしたら何か」という視点もひとつのアプローチとなるだろう。 ●芸術とは美の価値の発見 以前、東京魅力向上委員会に参加させていただいた折、高速道路の下などのデッドゾーンを親しみやすい場所に、という議論があった。単に水門に魚の絵を描くのではなく、みんなの使える生きた場所にする発想が必要なのではないか。 このように芸術とは美の価値の発見だと思う。絵の具で描くだけが美ではない。「まだ知らない美しいものが見たい」と哲学するのが美術で、今は美の価値観が多様に問われている時代なのだと思う。 ◇金子郁容氏 「プロセスの共有が生み出す新しいパラダイム」 ●指揮者のいないオーケストラ ニューヨークにオルフェウスという室内管弦楽団がある。ソロやコンダクターを務めることのできる力を持った一流の演奏家の集まりだが、世界で唯一の指揮者のいないオーケストラである。一昨年、ある音楽雑誌でベスト・オブ・チェンバー・オーケストラに選ばれた。ここでは、ビデオによって彼らがどんなふうに音楽をつくっていくかのプロセスを紹介する。 長時間のリハーサルを重ねる過程で、「互いに反論したり意見をいうのは自由だが、個人的中傷はしない」などというルールが自然につくられていった。リーダーシップは曲目によりリハーサルのプロセスで決まる。本番の演奏中は、プレーヤーの目配せや指の使い方でタイミングをとるやり方に観客もつい引き込まれてしまう。オルフェウスは本番に強いといわれるが、指揮者がいないという背景を知らなくても、素晴らしい音で26年間続けてきた力を感じる。 弱みもある。リハーサルのプロセスに時間がかかるし、中心メンバーはかけもちで、全員フリーランス。給料への不満も出てくる。演奏活動の35%以上に参加することを義務づけるなどというルールもある。しかし、プロセスに時間はかかっても、決定したら後は早いのが特徴だ。言いたいことを言わないで、後から文句が出るのでは人心は離れていく。メンバー間には、それぞれがユニークな存在であり、私もあのようになりたい、また他の人も私をそう見て欲しい、という相互信頼がある。「オーケストラありき」ではなく、ひとり一人のプレーヤーが尊重される。そこには職業的ヒエラルキーはない。 コーディネーションが必要な組織の研究をしているハーバード大学のリチャード・ハックマンは、その研究で「オルフェウスはもっともリーダーシップを発揮している組織」と結論づけた。 ●オープンソースのリナックス オルフェウスのメディアは対面のリハーサルや本番の演奏会だが、インターネットというメディアを介していろいろな相手とコラボレーションすることは他の分野でもあるだろう。ひとつの固定的な目的があって誰かが命令するままに仕事をするのでなく、言い合う中で尊敬し合いながらものごとをつくりだしてゆくことは喜びになる。 たとえば、最近、日本でも話題のリナックスというオープンソースのフリーウエアがある。世界中の技術者がインターネット上で自発的に協力してつくったユニックスのOS(オペレーティングシステム)のカーネルである。 1991年にヘルシンキ大学のリーナスという人物が、ユニックスをパソコン上で動かせないか、と考えてつくったのが始まりで、無名のひとりのプログラマーがネット上で提案したものに、たくさんの人が触発されて参加し、今ではリナックスのユーザーは1000万人になったといわれている。200人ほどがネットワーク上でシステムの中核をつくっているが、さまざまな周辺機器やテスト、パッチをあてるグループは数千人いるといわれる。 彼らはすべて自発的にやっているから、いつやめるかもわからないという「弱さ」はある。また、リーナスはカリスマ的な人物ではない。しかし、全体のデザイン力に優れていて、判断は公平で適切、また「いいやつ」という評価を受けており、「最後はあいつに任せよう」という自発的な承認をうけて全体が組織だっている。リーナスは、社長でも理事長でも会長でも株主でもない。みんなからアクセプトされたリーダーなのである。普通の組織であればこれだけの人を動かすのには大きな費用と命令系統が必要になるが、インターネット上だから費用はかからないし、権限で縛られていることもない。 ●新しい社会的信用創造 リナックス開発の中心はボランタリーな活動だが、一般利用者が使いやすいように、あるバージョンに保証を付けることなどで、まわりにいろいろなビジネスが起こっている。中心人物の評判やプロセスを信頼して参加者が集まるという形は、社会的な信用のつくり方として面白い例だ。 小さなソフト会社の場合、会社がつぶれると製品はサポートされないが、勢いのいいオープンソースのフリーウエアの場合、情報公開が基本で改良したら公開されるというルールがあるから、興味ある人が開発に参加している限り情報は出てくるし、一般の人も使える。企業原理ではなく、「このプロセスに参加するのは楽しい」という評価が有力な組織形成と信頼提供の手立てとなっている。 このような情報共有のコミュニティはうまく機能するという例が他にもたくさんある。社会・経済のすべての問題が経済市場や政府によって解決されるわけではない。インターネットなどを媒介とした自発的なコミュニティによるコミュニティ・ソリューションの可能性がいくつかの分野で出現してきているといえよう。 第6回必修講義
テーマ/「ネットワークパラダイムとカルチャー」 |
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