■東京の景観づくり
風景をどう読むか
〜破壊と再生の20世紀を超えて


石川 幹子 慶應義塾大学環境情報学部教授
戸沼 幸市 早稲田大学理工学部教授/
早稲田大学専門学校校長



戸沼 幸市
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目の前に拡がる風景をどういう視点から見ていくとよいのか。20世紀が間もなく終わろうとしている。東京は今世紀の間、震災と戦災に遭った。これらの破壊を大きなエネルギーとして甦った街である。石川氏は、近代は地球のさまざまな都市が5つの大きな波をくぐりぬけてきたと分析する。石川氏と戸沼氏に、これからの東京の新しい都市風景を描く指標を提示していただいた。

◇石川幹子氏
「都市と時代と景観と」

●5つの波
 
 都市の風景を巡る5つの波として時代を振り返ってみる。
1.封建時代が終わりを告げ、近代への入り口に立った19世紀半ばから20世紀初頭。東京は明治時代、パリ改造、ニューヨークにはセントラルパークができた。アメニティの時代といわれる。
2.自動車が生まれ、都市計画が生まれた。理論をもとに都市をつくっていこうとする機運である。理想や都市美、利便性や効率が追求された。
3.2つの世界大戦を経て大きな破壊があった。
4.1970年代、経済の活性化と都市計画が限りなく同じ規範に近づいた。都市は経済適合性をもとにつくられた時代である。
5.そして今、5つ目の波の直中にいる。開発利益の地域還元を共通の課題として考えていく波である。


●都市の比較 風景は、さまざまな時代の集積だ。その都市にどういう集積があったのかを読み解いていく鍵になり、風景は都市の顔として収斂する。  過密都市の中で建物が建っていない空間がある。自由意思を持つ空間である。それ自体は利益を生まない共有空間をコモンズとよぶ。「建てない(建築が占有しない)空間」をその都市がどう持ちうるか、これがコモンズとなる。コモンズを時代や都市がどのように担保してきたかを、都市の比較で見ていく。  江戸から東京へ。緑地部分は社寺・境内地をもとに、新しいコモンズはつくられなかった。東京は上野公園など公園という形で担保してきたが、それでも減っている。イタリアのシエナやベネチアでは広場として継承されてきたが、東京は江戸の資産を継承していない。  ロンドンではスクエアという発想があるが、レントを高く取れるという土地経営的な発想で、住宅地の開発利益で公園を経営している。こうした循環システムはロンドンではじまり、ハムステッドのように共有地(コモンズ)を守るために住宅開発でコモンズを築いた例もある。  パリは中心部に緑のない城郭都市だったのが、壁を壊して街をつくった。中心地の超過収用を還元方式にし、国有地を開発しないことでコモンズを愚直に継承してきた。  ニューヨークはセントラルパークの隣接地に受益地を設定した。公園ができると地価が上がるので、受益者負担金を取って土地代の35%を捻出した。  ボストンは湿地を埋め立てた開発利益還元型。この利益を公共事業に回し、大学や図書館をつくった。緑地を整備する開発が経済合理性に叶うことを示した。単なる河川改修ではないパークシステムが、ボストンの例で市民権を得たことで世界中に波及した。  このように、都市の風景は、インフラの整備の中で経済合理性とリンクしながらつくり出されてきたのである。


●東京の景観の変遷
東京は地租改正により、土地所有の変更と連動して公園制度が導入された。社寺の持つ土地は、明治政府が取り上げて公園となった。浅草公園は公園経営地から地代を取って経営にあてたが、その後、政教分離で寺に土地が返り、社寺・境内地に起因する公園は激減している。これらが近代都市のストックになった。これが第1の波。  関東大震災の復興計画で欧米の都市計画が実施される。第2の波。パークシステムは都市防災計画として適用される。お茶の水は風致地区制度のゾーニングにより、風景を担保された。  その後、戦災を受け、第3の波を経験する。戦後の復興策で、全国各地では防災都市計画型のパークシステムが導入されたが、東京でははかばかしくなかった。  隅田公園等が第4の波でできたものである。臨海部をひとつの題材として捉えると水と緑のネットワークを描けるはずなのだが、たとえば有明コロシアムのプロムナード、博覧会予定地等は、樹木を生き物としてではなく、装置のひとつとしてしか扱っていない。緑のデザインに欠けている。


●東京の景観づくりの観点
これからの景観づくりの指標として、次の5つの観点を示す。
1.安全性の構築をヒューマンスケールで描く。不燃建築でシャットするのではなく、古典的な都市防災の視点から樹木を活かす手法も取り入れる。
2.都市を更新するときに、どのようにしたら連動してコモンズを生み出せるか、しっかりしたコモンづくりの仕組みを考える。
3.犠牲にしてきたインフラを都市更新の際に直していく。ボストンでは、ウォーターフロントの高速道路を地下化し、地上を公園にした。日本でも高速道路の整備と連動して新宿御苑で森を復元する試みがなされた。風景をつくり、守る努力が必要である。
4.都市には大事な場所がある。それはどこかをみんなで認識する必要がある。
5.過密都市であるからこそ、本物の大きな自然をつくっていく努力が必要だ。発想を変えて景観をつくり出す手法を選び、進むべき着地点を考えることが大事。
たとえば神戸の繁栄は、ひとつには六甲山の緑が支えている。都市は森や緑に支えられている。 東京の場合はどうだろうか。経済の利潤や開発利益を還元し、持続的に自然を支える仕組みをつくり出す必要がある。そうしないと東京の景観はよくならない。 また、郊外の庭付き一戸建てで暮らすことを目的としてきた時代から、ようやく市民がまちづくりに参加する時代が訪れた。自由と束縛の折り合いのつけ方を考え出すと地 域が変わる。地域的なコモンズを確保する方法を考えていくことも必要だ。



◇戸沼幸市氏
「景観づくりの手掛かり」

●東京の市街地発展の特色

江戸から現代まで、都市のパターンがどう変わっていったか。1枚の紙に図示した。(21ページ図参照)  江戸には巧みなまちづくりがあり、安定したエコロジカルな都市であった。動力として化石燃料を使わず、水路を活用するなど、自然に近い素材で自分たちのシェルター、安心・安全のシステムをつくっていた。江戸の長屋はひとつの安定した風景ではなかったか。  そして、エネルギー革命で変革が起こり、ライフスタイルも人口も変わっていった。時代の節目には震災や戦災などの破壊もあったが、それを機会に木質型都市から耐火型都市へ大きく変わっていった。1930年代に山手線ができ、江戸を中心とした風景を持ちながらも都市は外へと拡がっていった。  また、建物の高さを景観的にどう評価するかという課題がある。これは高層建築の多い、東京の都市計画を考えるポイントになろう。  高度成長期には一極集中や公害が発生した。半径30キロを核都市とする60キロ圏の東京圏に3200万人が暮らしている。これほどの人口がひとつの生活機構にぶらさがっているという、地球上でも例を見ない都市となった。  これを都市づくりの成功例とみるか失敗例と見るかは、見方によって変わるが、これだけ精巧な都市は日本人でなければできなかったかとも思われる。


●景観づくりマスタープラン
美を意識するまちづくりはこの10年くらいの動きだ。  そのひとつが東京都景観づくりマスタープランである。東京の見方として、下町、臨海、多摩川などいくつかの都市の風景軸をみつけてそれに手掛かりを与えようとするものである。  一方、景観条例として、都市に潤いを与える地域について行政の手引書をつくろうとする動きもある。  歴史的景観の保存にあたっては、都の歴史的建造物として早稲田の大隈講堂の補修に補助金を出すなどの例がある。  では、一般の多様な地域をどうするか。経済のアクティビティを妨げないように建築基準法、都市計画で一律に縛るのではなく、地区レベルで環境を考えて地区計画ができるような考え方も必要である。ドイツには建築と建築を繋ぐ大きな敷地の単位で、緑地や景観の調整を行う仕組みがある。  たとえば山手線内を全部緑にするのは困難としても、さまざまな形で残る既存の緑地を繋げられないかという考え方がある。これは東京の防災緑地網にも繋がる話である。


●地形の特色からの捉え方
江戸は山岳都市とみることができる。富士山、筑波山など、普段は見える範囲しかわからないので、山に囲まれた都市だとは感じていないかもしれないが・・・。また、東京は水辺から発達して緑地の崖線がはっきりしているなど、地形の特徴を色濃く持っている都市である。東京は市街地化が進みながらもこうした地形に守られてきた。  こうして東京はダメージを生き延びてきたが、21世紀の挑戦としては、人間がつくる構造物の下の図柄(地形)を見直すことが大切だと思う。景観がよいかどうかは、実は安心かどうかが決め手になるのではないか。  そういった「安心」の視点と、「美」という主観から切り込むベースづくりが必要である。





第5回必修講義

テーマ/「東京の景観づくり」
講師/石川 幹子(慶応義塾大学環境情報学部教授)
  戸沼 幸市(早稲田大学工学部教授/早稲田大学専門学校校長)
日時/1999年6月10日
会場/アカデミーヒルズ(アーク森ビル36階)


戸沼 幸市 講義目録
■第22期 '99.6.10
 東京の景観づくり
■第20期 '98.5.23
 空港と都市
■第19期 '97.11.19
 地球コミュニティと空港コミュニティ
■第18期 '97.5.14
 地域活性化のキーポイント

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