■実務のための国際化を考える

二瓶 恭光(慶應義塾大学産業研究所 教授)


二瓶 恭光
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グローバル企業においては、前提として企業人であると同時に国際人でなくてはならない。その際、何十通りもの解釈のある「国際化」の中身を考える必要がある。
 慶応高校のニューヨーク校の初代校長を務め、30年以上の教鞭生活のうち15年以上を海外で過ごした経験から、二瓶恭光氏(慶應義塾大学産業研究所教授)に国際人としての必要条件を考察していただいた。



●手段としての語学とコミュニケーション能力
ある国へ行って、その国の人とコミュニケーションができるには、語学力が必要である。ちょっとした言葉を身に付けることによって、人間関係が変わったりもする。だが、言葉としての語学能力と、コミュニケーションの道具としての語学とは異なることを理解しなければならない。
 例えば、bargainという英語。「交渉」と和訳される。日本では交渉というと、どちらかに有利に運ぶように勝ち負けを決めるプロセスを意味するが、米国ではお互いが納得できるポジションを探すことを意味し、勝負の概念ではない。このように、言葉は言葉であると同時に概念である。米国人はその言葉で何を意味するか。それを概念として理解しないと役に立たないのである。このように言葉は、手段であると同時に理解のための重要な手がかりとなる。つまり、相手の考え方、社会習慣まで含んで理解する必要があるのだ。



●実務能力〜ビジネスルールの理解
こうした語学能力の基礎条件に立った上で、ビジネスということになると、国内での実務能力に加えて、自分の置かれた社会の制度的・機能的理解も必要になる。つまり、その国のビジネスルールに精通するということである。
日本的経営が海外でも通用すると言われていたことがある。しかし、米国の科学的管理法においては、人間はポストを埋めるための生産素材の一つにすぎないという考え方になる。これには多くの移民を労働力として取り込む際に、言葉が話せない人も有効に使うために、それ以上を求めないできた歴史を背景としている。また、従業員の教育訓練というのは日本の考え方であって、米国では企業はあくまでも生産の場であり、教育機関は別のものという考え方になる。
このように、違ったやり方での組織管理において、どう判断するかがその場におけるその人の実務能力となる。自分のやっていることが相手の社会で受け入れられなければならない、という前提で広い意味での実務能力を身に付けるためには、その社会習慣をどの程度咀嚼できるかがネックとなる。訴訟社会といわれる米国では、裁判は勝負ではなく、bargainという意味で法的に武装している交渉事である。米国での訴訟において、勝負を付けようとする日本的経営の発想で対応して大変なことになった事例もある。



●経営のグローバルスタンダードはあるのか?
一時期、日本的経営を模範とする風向きがあったが、今は米国の景気がいいため、米国的経営が合理的でグローバルスタンダードとされている。しかし、大事なのは、現代という社会における歴史観を自分がどう組み立てるか、5〜10年後をどう読むか。時代感覚と未来の方向を読みとる能力である。状況は常に変化する。自己再評価の柔軟性を持つことが重要である。これが備わってはじめて、transnational competence(国境を越えた能力)が身に付くのである。




第20期

テーマ/グローバル企業におけるマネジメント
講師/二瓶 恭光(慶應義塾大学産業研究所 教授)
日時/1998年7月24日
会場/アカデミーヒルズ(アーク森ビル36階)


二瓶 恭光 講義目録
■第20期 '98.7.24
 実務のための国際化を考える
■第19期 '97.10.31
 グローバル時代における企業組織の管理運営
■第17期 '96.11.15
 米国における教育機関の設立

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