■ビジネスとしての視点からの
       日本映画作り


仙頭武則(映画プロデューサー)


仙頭 武則
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日本映画初のカンヌ映画祭カメラドール受賞。昨年の日本映画界に訪れた「カンヌ騒動」である。受賞映画「萌の朱雀」をプロデュースした仙頭武則氏は、大学卒業後大手鉄鋼メーカーの営業マンから1990年に日本衛星放送(WOWOW)に転職。開局前からの営業職を担当していたが、映画に詳しい奴が居るといううわさがプロデュースのセクションへの人事異動につながり、映画のプロデュースを手掛けるようになった。会社員でありながら、プロデューサーは部長とか課長というような肩書きではなく職業だと自認している。


●製作と制作〜日本映画界の現状
現在、国内での上映による配給収入が10億円を超えるのは、日本映画で年間5、6本。うち半分はアニメである。海外作品を入れて20本程度。
興行収入というのが映画に対する全収入であるが、この約50%が劇場に入り、残りの半分が配給収入となる。この配給収入の50%が宣伝費も含めた配給手数料として配給会社に行き、残り半分から制作費を除いた分が利益となる。ここから税金も差し引かれるので、利益は知れている。日本映画だけでみると昨年の興行収入は300億円弱で、その3分の1は「もののけ姫」が稼いだ。「タイタニック」の製作費が240億円というのだから、こうしてみると日本映画界というのは、業界全体をあわせても大企業の1事業部の収益にすぎない程度だということがわかる。おまけに予算管理が重要なのにもかかわらず、どんぶり勘定が当たり前の業界だ。
ロケ現場に行って、何十個もの余った弁当をみて、こりゃたまらん、が出発点だった。弁当の無駄から始まり、仮払いシステムの杜撰さ。制作現場での見えないところへの無駄の多さに驚いた。制作資金の10%オーバーは当たり前と言われ、またヒットしても、作る側に利益が還元されないのが現状のシステムである。だが、無駄にではフィルムやセットにお金をかけてちゃんと映画を作りたい。映画が好きでたくさん見て育った自分としては、そう考えた。


●「J・MOVIE・WARS」におけるプロデュース手法
〜カンヌ受賞まで

日本におけるこれまでの「作品は監督のものである」という考え方だけでは、いい映画は作れない。監督は表現者ではあるが、創造者ではない。創造し、なおかつ収益を生む、ビジネスとしてどう成り立たせるのかという視点が重要。「J・MOVIE・WARS」というプロジェクトにおいて、製作(いわゆる本社業務)と制作(現場)を管理してみようと考えたのが始まりである。アメリカには予算管理のシステムソフトがあり、それを日本流に手直ししながら使ってみた。
また、洋画を主に扱う単館劇場で、日本の映画を上映してビジネスとして成立させてみようと考えた。例えばマリオンなどの大劇場は890席。それに対してシネヴィヴァンなど260席程度の映画館は全国合わせても2〜30館。ここに8〜10週間上映して85%の稼働でうまくいくと8000万円の興行収入を見込める。この範囲内で製作できる規模の映画をつくろうというのが「J・MOVIE・WARS」の試みであった。やみくもに映画をつくってから流すのではなく、流す市場をみつけて、見てもらえる客を想定してつくるという手法である。
旧来、プロデュースというのは、企画、資金集め、スタッフィング・キャスティングまでだった。資金を回収する、この考え方が欠落していたのが日本映画界で、使ったコストに対して必要な回収を行うというマーケティングがなかった。つまり日本映画が駄目なのではなく、製作会社がだめだったのだ。「J・MOVIE・WARS」の作品を海外で上映しているが、日本映画は映画としての評価は海外では高く、しかも契約のシステムのはっきりしている海外ではビジネスもやりやすいことがわかった。
「J・MOVIE・WARS」では、4本の企画を1年でつくり、翌1年で回収する。4本作ればどれか1本はあたる。「萌の朱雀」は、企画としては面白くてもこれ1本だったなら、誰も金を出さなかっただろう。このシステムでこそ出来た冒険でもあった。
これまでも30本の映画を手掛けて、お金を出した人に損はさせていないが、賞をとると世の中が変わると実感した。3、4年前から海外の映画祭で人脈づくりを進めていて、賞を狙っていた。だから、カンヌ受賞は幸運だが偶然ではない。作る前に誰からの意見もないまま決断を下すのがプロデューサーだが、出来上がって賞をとったらみんな騒ぐのが世の中だ。  


●映画作りにおけるプロデューサー業とは
見た人が面白いと思えば、人が人を呼ぶ。ヒットさせるための作業ではない。例えば、「リング」「らせん」は恐い映画を作ろう、がキャッチフレーズだった。
ビジネススキームだけじゃなく、企画力だろうとよくいわれるが、これをやればあたる、というのはない。自分がやってきたのは、脚本を作り込むこと。人物のキャラクターを生い立ちから徹底的に描く。ストーリーは余り気にしない。ビルを爆破させたいから人を動かすのではなくて、こんなやつらが出てきてそれらがどう動くのか?そうすると勝手に事件が起こる。事件が起こらなければ、映画に相応しいキャラクターではなかった、と考える。小さい頃から映画を見続けた経験から、自分が見終わってその人物に逢いたいと思えるかどうか。逢いたいと思えなかったらその映画は面白くはないだろう、と思う。
また、プロデューサーは現場に行かないものだと思われてきたが、自分は現場に立たないと面白いものは出来ないと思っている。現場で何をしているかというとその都度違うが、人を雇うまでもないときは運転手もやるし、演出のサポートもすれば、弁当の数も数えている。
映画プロデューサーとして特別修行したわけではなく、鉄鋼メーカーでやっていたことを映画の現場に持ち込み、普通の社会の常識をやっただけで、自分のわかる範囲から始めた。自分にとってのゴールとは、敢えて抽象的なヒットを目指すつもりはなく、ビジネスとして成功すればいいと考えている。とにかく1本でも多くの映画を作りたい。


*仙頭氏による「ムービーウォーズ ゼロから始めたプロデューサー格闘記」(日本経済新聞社)という著作が参考になるだろう。(浜野)




第20期 情報デザインスクール

テーマ/「日本映画界の行方」
講師/仙頭武則(映画プロデューサー)
   浜野保樹(メディア教育開発センター助教授)
日時/1998年5月11日
会場/アカデミーヒルズ(アーク森ビル36階)


仙頭 武則 講義目録
■第21期 '98.11.16
 日本映画界のインフラ整備
■第20期 '98.5.11
 ビジネスとしての視点からの日本映画作り

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