| 使い手から考えるマルチメディア
ネットワークとフットワーク 石井威望 アカデミーヒルズ研究センター所長/ 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授 |
![]() 石井 威望 講義一覧▼ |
|
手軽で安価なモバイル端末が普及し、どこからでも簡単にネットワークにアクセスできる時代を迎えた。
しかし、どれだけの人がこのメディア環境を使いこなしているのだろうか。
「メディア」と「コンテンツ」、「ネットワーク」と「フットワーク」、そして世代間の「ギャップ」と「ラップ」の概念など、石井威望教授に、マルチメディアをしなやかな発想で利用するための処方箋を聞いた。 ---- 先日、石井先生の「モバイル社会の躍動」という特別講演で、モバイル端末を使ったインタラクティブ(双方向)な授業を初めて体験してとにかく驚きました。こうした授業は学生の反応も大きいでしょうね。 石井---- それは大きい。驚きがないと学びがない。「驚き」は学びのモチベーションなんです。だから僕は大学の授業でも学生を驚かせよう、驚かせようって頑張っている(笑)。授業風景もビデオに撮っているのですよ。言葉やアンケートより表情はストレートで雄弁ですから。映像の情報量はたいへんなもの。この反応をフィードバックして授業をバージョンアップさせていくわけです。特にストレートな反応が返ってくるのが小さな子供たち。毎年、子供たちのための「マルチメディアキャンプ」という催しを開いているんですが、子供たちは大人のような義理人情がないからね(笑)、どんな偉い人を連れてきても、コンテンツが面白くないとはっきり「つまんない」って顔をする。コンテンツがよかったかどうかすぐわかる。 ---- マルチメディア論というと難解なハードの話かと身構えましたが、携帯電話やPHS、ノートパソコンなどの身近なモバイル端末を使いながら、「最新の技術で何ができるか」というプレゼンテーションが次々に続いたので、思わず引き込まれました。 石井---- 僕は、つくり手じゃなく使い手側の視点でマルチメディアを見ているからね、ハ ードそのものより「何ができるのか」に興味がある。ユーザーはコンテンツがよければ 情報基盤はどんなものでもいいのです。情報の価値は、その人にとって意味があるコンテンツかどうかで決まる。 たとえば、胎児の超音波映像。母親以外はなんの興味もわかないけれど、母親だけは映像が悪くても熱心に見るでしょう。ハードの問題以上に重要なのは、コンテンツなんですよ。 ---- 魅力あるコンテンツはどうしたら生まれるのでしょう。 石井---- ユーザーの反応に注目することです。コンテンツについてハードを開発した技術者に聞いてもだめですね。蓄音機を発明したエジソンもコンテンツを軽視したので、最初は商業的にはうまくいかなかった。デモンストレーション用に吹き込んだのは童謡だった。一度は「へぇー」って聞くけど何度も聞きたいとは思わないでしょ、童謡では。 彼は蓄音機を開発するとき、教育機器として使おうと考えていて音楽産業なんて眼中になかった。しかし、実際に蓄音機が大ヒットしたのはショービジネスやオペラなど、 皆が何度も聞きたくなるようなものが吹き込まれた時です。大発明家のエジソンでさえコンテンツづくりには失敗したのだから、新しいメディアだって同じ。そこのところを誤解している人がまだ多いですね。 ---- 新製品を開発したとします。先生ならどうされますか。 石井---- たとえば子供たちに渡してどんなことをするか、どんなふうに使うかビデオに撮って観察する。やはり子供がいいですね。大人はまず説明書を読んじゃうから、発想が広がらない。 つい先日も、デジタルカメラ付きのカラーザウルスを子供たちに渡したら、食べ物を撮ってきて見せ合っている。自分が食べて美味しいと思ったから、それを素直に写真に撮ってきたわけです。使い手の体験に基づく興味や発想をしっかり受け止めることですね。 ---- つくり手側の片思いでモノの使い道を制約してはいけない。メディアとコンテンツはまったく別物として考えるべきなんでしょうね。 石井---- ええ。メディアが変わっても、いいコンテンツは昔も今も変わりません。1000年前、紫式部が『源氏物語』を書いた。筆と紙というメディアでしたが、コンテンツが優れているから読み継がれてきたでしょ。 時々、メディアは発達したけど、私たちはこれに匹敵するようなコンテンツを生み出しているのかな、そうしたチャレンジをしているのかな、と考えることがありますよ。それに、あのころの宮廷の女性たちは「仮名文字」を創るという偉業を成し遂げています。仮名文字のおかげで日本語ワープロができたのです。漢字というハンディキャップを乗り越えてね。 ---- 私たちは過去からの遺産を引き継いでいるわけですね。マルチメディア社会を考えるときも歴史的な視点が役立つ。アナログとデジタル、それに人間の実体験(フットワー ク)と新しいネットワーク技術は対立的な関係ではなく、補完し合うものなのですね。 石井---- そうです。チャネルは多いほどいい。ネットワークもフットワークも必要なのです。これらを組み合わせることで、新しい何かが生み出されます。 たとえば、郵便局が「ひまわりサービス」という活動を行っている地域があります。 これは、郵便配達の途中、配達地域の独り暮らしのお年寄りの家に立ち寄って、声をかけていくサービス。一種の地域福祉サービスですね。そのうちに、ちょっとした買い物なんかも頼まれてお手伝いしているようです。これは長い間に培った信頼関係があるからできること。東京から来たボランティアがおいそれと真似できることではありません 。 このように信頼関係をベースにしたフットワークと、モバイル端末によるネットワークが結びついたらもっともっといろいろなことができると思いませんか。 ---- 先日の講義で、妹尾先生が紹介されていたGPS内蔵カメラも利用できそうですね 。 石井---- いいですね。郵便配達員がGPS内蔵カメラやモバイル端末を持てば、配達の途中で道路や電信柱なんかの調査も簡単にできてしまうね、写真を撮るだけで場所もパソコンにインプットされるのだから。 大変な数の配達員が全国津々浦々までカバーしているのだから、彼らがモバイル端末を上手く使えば福祉や介護にも役立てることができるし、建設省や厚生省や運輸省などが個別でやっているフィールド調査もできる。発想を柔軟にすれば、こうした既存のフットワークを生かして、実にさまざまな可能性が生まれてくる。 ---- 今、必要なのは柔軟な発想。その原点となるのは? 石井---- 発想の原点はフットワークです。現地にいくことです。現地で得られる情報は非常に多い。相手の表情はもちろん、その家の匂いや音まで情報として入ってくる。フットワークを使わないと思考に発展性がなくなります。ひまわりサービスは、残念ながら僕自身は行けなかったけれども、アシスタントにビデオを撮ってきてもらって話を聞きました。こういう時もビデオが威力を発揮する。リアルタイムに映像が送り合えて、双方向のコミュニケーションができると、もっとリアルな感覚がつかめるでしょうね 。 ---- フットワークで集めた情報を新しい発想に結びつけるのは? 石井---- 歳の功かな(笑)。いや、正確にいえば、学生より私のほうが年齢を積み重ねているし、技術開発の歴史を知っている。その分、多重的に考えられるのです。歴史は現在と未来の問題を考える時にも役立ちます。 技術革新やダウンサイジングのプロセスを見ているから、もっとキャパシティが大き くなって機器が小さくなったらどんなことができるようになるだろう、と発想が膨らむ。驚きの数が多いほど発想は膨らむのです。 その点、今の子供たちは最初からこのメディア環境にいるから、驚きが少なくてかわいそうです。 ---- 先生が授業で紹介された『デジタルチルドレン』を読みまして、生まれた時からこんなメディア環境にいる子供たちを羨ましく思いましたが、プリント世代やテレビ世代もそう悲観することはないですね。その積み重ねを活かせれば。 石井---- そうです。その本では、世代間を「ジェネレーションギャップ」じゃなくて「ジェネレーションラップ」として捉えている。「lap」……ラップタイムとかオーバー ラップの「lap」です。 「ラップ」の概念は、いろいろな世代がトラックを一緒に走っている状態と考えるとわかりやすい。一本のまっすぐ続く道なら、先に走っているほうがずっと前を走り続けるわけですが、トラックでは違うでしょう。後から走りはじめた人が自分の前にいることもある。一見、逆転現象が起こっているように見えるけれど、先に走っている人はその分、何周目かを走っているから、思考に多重性がある。世代間を「ギャップ」として捉えると対立が起こりますが、「ラップ」と捉えれば違う。 教育がいい例です。パソコンが入ってくると、子供のほうが先生の先を走っているようなことも起こりうる。「常に先生が生徒の前を走っているべきだ」と考える先生には屈辱でしょう。でも、ラップで捉えれば後先にこだわることはない。「そりゃそうだよ、先生はもうここを3周したもの」ってね。 教師が生徒に一方的に知識を与える時代は終わりました。インタラクティブな授業ができるツールもできている。教師は生徒の自主性を引き出すように、必要に応じて生徒をガイドしたり、フォローしたりすればいい。ラップの概念と新しいメディアによって、教育の現場も変わるのではないかと思いますよ。実際に、慶應大学の湘南藤沢キャンパスの体育の授業はそれを実践している。学生たちの人気が一番高い授業です。 ---- ラップで捉えれば、世代間の対立は回避できるのですね。ただ、企業や社会では 、プリント世代はなかなか新しいメディアや概念を受け入れないように思えます。 石井---- ある年齢以上に新しいものを受け入れてもらうには、信頼関係で結ばれた人が忍耐強く繰り返さなければなりません。それと、その人にとって意味のあるコンテンツを与えることですね。 たとえば、先ほどのひまわりサービスの場合でも、配達員がモバイル端末を使って、 遠くにいる息子さんへアクセスしてあげたり、郵便局の残高などを引き出して見せてあげればお年寄りも興味を持つでしょう。それを、「さあ、公民館に集まってパソコンを勉強しましょう」なんていっても駄目です。プリント世代は運の悪い世代なのです。晩年になって、パソコンだの、インターネッ トだの、新しいメディアが出てきてしまった。社会保障すべきなんですよ、ある種の障害者なんですから(笑)。情報介護保険みたいなものがあるといいですね。介護ってフィジカルなものばかりじゃない。情報の車椅子を押してもらうのも介護です。 ---- 介護保険の保険料は、飲み代、食事代という形でネット世代に支払うことになりそうですね。 石井---- そう、僕も払ってますよ(笑)。 |
|